骨董品●凱旋紀念盃●満期帰休除隊軍盃軍猪口記念盃杯陶磁器漆器

以下、骨董市に出かけるとしばしば見られる物である。

世界中が帝国主義で軍隊を具備し、国民皆兵であった時代、兵役を終え無事故郷に帰還することは誰しも嬉しい事であった。

出征前に、住み慣れた地域を村ぐるみ、地域ぐるみ、職場ぐるみ、そして在学している学校ぐるみで送り出され、はたまた召集令状が来て応召する数日と言う短期間の間に送別会が開かれ、考えや感想を味わう間もなく慌しく応召入隊した身においては、その満期除隊の期日、そして帰郷という事実は、今の我々には考えが遠く及ばないくらい嬉しい事であったに違いない。

何も入隊すれば全ての者が戦地に行くわけではない。一人前の国民男子として教育を受け、戦いのない平時なら時間が刻々と過ぎれば除隊。また戦時でも内地勤務の者はその特技を生かし戦いのない地域での勤務となり、その勤続期間や成果により社会的に大切な階級も与えられた。

それでもなお、満期除隊、帰休解隊というのはうれしく、出征前に送り出された地域やお世話になった方々に、無事除隊され帰ってきたという報告とお礼の意を込め宴を開き、記念品を配った。

記念品の中には銀器や錫器などのように当時高価な物もあったが、多くは漆器の盆や灰皿、茶碗など、日常使えるもので汎用品が多かった。その中でも小さな盃(酒器)というのはかなり多く作られた。

古くは日清の戦いで無事凱旋除隊された職業軍人ではない人たちが始めた習慣のようだが、夥しい人数の戦没者が出た日露の戦いでは、如何に凱旋帰郷ということが有難かったか、また国家挙げての戦勝ムードの中で我も我もと溢れるほど多く作られた。現存する物も日露の頃の物は多い。

発注者は除隊者本人。国内や外地にあった基地や駐屯地の門前には、平時は商店街のように「満期記念品」や「甘い食べ物」を売る店が多く並んでおり、除隊日が決定した以降の休日には品定めに出かけ、除隊日に営門を出て一目散に発注していた店に寄り、商品を受け取り故郷へ帰る。商店の方も受注を受けてから部隊名や除隊者の名前を書き込み遺漏無く準備を進める。戦地での様子は若干違うものがあるが、そのようなことが叶わなかった所では帰郷してから故郷の商店で急ぎ発注する。

一つ一つの記念盃の絵柄が違うのは、それだけ多くの部隊や戦地や兵役での職種、それに長らく徴兵制が続いたということでもある。

満期記念品の中で盃に話を絞れば、日清日露の頃と大東亜に至るまで流行や世情を反映し、形状や絵柄が違う。よくあるのは日章旗と連隊旗や、日の丸と海軍旗を交差したものが明治の頃は多く、昭和中期からは割れにくい小型で厚みのある猪口タイプが多い。デザインも地色が着き、美しく、中には高台がプロペラや錨や桜を形どったものもある。千差万別のデザインだ。

戦後、連合国の進駐軍が上陸、このような小さな食器の少ない文化の彼らは、小さく美しく、種類の多いこの種の軍盃を好んで収集し、本国に持ち帰ったという。

また、漆器や錫器の物もあるが大抵は磁器で、薄手の物は漆器や磁器という性質上、わずかな欠けやにゅうの入ったものが多い。しかし、そこに書かれた絵柄や文字(部隊名や氏名、そして、除隊を喜ぶ和歌)は、一つ一つに当時の満期者の気持ちや誇りが篭っており、どれひとつとして粗末に扱う気にはなれない。

骨董市で安く売られていることが多いが、筆者は見つけた際には極力購入するようにしている。

最後になるが、同様の物で、兵役中の射撃優秀賞や叙勲記念の物も多からずあるが、大東亜末期に玉砕した硫黄島や沖縄戦から生還した凱旋記念盃は、未だかつて見たことはない。

写真は冒頭に少し載せたが、以下ランダムにいくつか掲載する。

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