■親友追悼■靖国神社骨董市にての元気な顔が見納め・・。

暫く投稿が途絶えた・・・。

自分らしくもなく、しかし、自分が人間らしいことの証だとも考える。

去る3月2日。関東在住の親友が急逝。

関西の高校時代の同窓生であったが、学生時代は殆んど口もきかず、顔もなんとなく覚えている程度の間柄ではあったが、彼の住む関東に戦没者遺骨収集の活動を始めて以来上京する度時間があれば会うようになった。

ある時は硫黄島から帰還の日に食事。全国戦没者追悼式に招待を受けて武道館に参列した後、靖国神社の境内で待ち合わせたり、深夜まで都内で昔話をしたり、こちらが靖国骨董市に出店すると言えばカメラマンの彼は大きなカメラを担いで顔を見に来てくれた。最後に会ったのも靖国の市だった。

昨年3月急な腹部の腹痛で緊急入院。かなり進んだ癌の為、緊急手術で直腸切除。退院後は夏ごろには彼の趣味の自転車で数十キロの通勤もできるまでに回復したと聞いた。その頃の電話での声は以前と変わりなく本当に回復したと信じていた。ストーマー着用の不便だけが彼の悩みのようでもあった。

年が変わり、二月の末突然再入院したと彼の友人から連絡があった。信じられないことにかなり衰弱がひどく、会話も食事もままならない状態と聞き、処置が進み少し元気になれば親友として少しは元気を出すための悪態を吐いてやろうかとも考えていた。

その間、関東に点在する同窓生が見舞い、訃報を聞く前日には彼は元気で色々話したという。後に聞いたが、「万が一のときはこいつに一番に連絡してくれ。」と小生を名指したと言う。そんな想いを持ってくれていたとは知らず、恋人から「彼が亡くなった。」との連絡が来るまでこちらから電話をすることもなく暢気に構えていた。

過去、先輩、恩師、友人、部下、それに同年輩の親友を数多く亡くしてきたが今回はかなり参った。原因は自分でも良く分らないが、歳のせいか、魂の会話か、それとも短期間ではあったがお互いに理解し合える同じ感性を持っていたからかもしれない。それにしてもそれらに輪をかけて、これから更に深い友情に発展すると考えていたのに何も話さなかったことが最大の理由であるとも思う。

葬儀にも郷里での告別式にも参列できなかった。だがしかし、落ち着いたら彼の眠る富山の山々の元を訪れ、天上にて笑う彼に線香の紫煙を手繰り、会話をしようと考えている。

誕生日の前日という節目の日に亡くなった親友。この世には思い残すことが多かったと思う。満58年という短い人生で彼の残したものは多い。親しく慕う者達が偲ぶ会を開催すると言う。小生はそれには参加せず、別のところで彼に会おうと思っている。

合掌

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