在籍した企業①■㈱廣済堂(関西廣済堂)■櫻井義晃(桜井文雄)・学卒入社・印刷業

回顧談。初めて明かす筆者の履歴。と言うと大上段だが、折角の数奇な人生(どこにでもあるレベルであるが)、ブログに残しておきたい。

社会を知らずに、学生時代にそこそこの中央展に入選を続けたせいで、安易に書道科教員を目指した高校生の頃、確かに書の世界では将来をかなり嘱望された時期ではあったが、より基礎を極めてからと大学で東洋史学専攻の道に進んだ筆者は印刷業界の道を選んだ。当時、書道教員になると飯は食えるので腕は伸びなくなるというのが師の教えで、一般企業就職は大志を描いた学生の結論であった。

印刷業を選んだもう一つの理由はこれまた安易で、学生結婚をした身の上。自宅から近くて、また大企業でもないので適当にそれまで続けていた書道教室の継続も容易と考えたからだった。

当時は株式会社関西廣済堂という廣済堂グループの一社で、評判はよくは解らないが、将来を期待された一地方の小企業だったと考えたが、何分、初めて社会に飛び出た身ゆえ、また、配属が企業体の中心部である統括本部総務部(総務課)だった故、入社一年目から同期の社員には負けじと粉骨砕身、土日もなく働き続けた。お陰で、入社三年目には仕事にどっぷり浸かる羽目に・・、それまで請け負っていたPTAの成人教育書道教室の数か所の教師も辞退した。

印刷業と言っても、総合印刷業故、印刷現場だけではなく、直接受注の営業、組版、製版、刷版、印刷、製本、検品発送、それに企画デザイン部門や映像部門に属するスタジオ撮影部門、そして情報誌等の出版部門まであった。

そんな職場で同期は入社時に配属された部門でこつこつと昇進を続けて行ったが、筆者は、組版、製版、刷版、印刷、製本、発送、そして、退職時には営業課長職から、企画制作室室長を前に退職という職歴を得、ほぼ全ての職場を渡り歩いた。自身としては願ってもない、大きな経験を若い時に体験でき、一番長く在籍した人事総務労務畑の肥やしにでき、満足のいく若年期を過ごせたと感謝している。勿論、お蔭で同期に負けることはなかった。

入社した当時の関西廣済堂というのは廣済堂グルーブの西の根幹で、創業者の櫻井文雄(義晃)会長が居る関東の㈱廣済堂とはライバル意識も強く、負けるな関東に!という気負いや対抗意識も強かった。お陰で、関西にて少し名を挙げれば会長に直接名を呼ばれるという栄誉も良く頂いた。そんな事例の一番大きい想い出が、全国の関連会社迄すべて含めても、一般社員なら雲の上の会長の地方行脚の際の随行なども拝命した。創業者の会長が亡くなった今、後にも先にも当時、初級管理職の課長レベルでこれを語れる者は筆者しかいない、という自負が残っている。

当時、写真週刊誌が出現した時期、フォーカスなどにしばしば登場した「日本のフィクサー、櫻井義晃氏・・」なる記事を誇りに、そのすべてを購入蔵書にしたのも恥ずかしくはなく、バイブルのような存在だった。

では、なぜ、退職、転職したか・・・。それは次の機会に述べるとしよう。決して逃避や敵対ではなく、自身としては人生の発展的意志の結果だったと今でも信じている。

オイルショックの後、東京証券取引所や大阪証券取引所が新規上場申請を様子見、上場ストップの時期を設けたが、約一年後その再開第一号として、関西廣済堂(本体の㈱廣済堂をさておき)の上場を見た時の担当部署である総務部課長として、他の社員以上に思い入れが大きかったことは自認している。

学卒で入社。一人前の社会人としての第一歩を踏み出した、そして、そこで受けた教育は今でも筆者の物の考え方の根幹にしっかりと根付いている。そして、付け加えて言うならば、今でも大きく感謝している。退職して20年以上、今でも会社の行事などにも呼んでいただけ、敷居を跨げることに満足している。「廣済一筋」という、社是の中の一句を、生涯唱え続けたいと考える。

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コメント

  1. 岡田行雄 より:

    雅庵さん、拝見しました。続きを楽しみにしております。

  2. 谷藤誠 より:

    雅庵様、ご無沙汰しております。N田さんですよね~?(笑)偶然、見かけました。超、ビツクリです。O田さんも見つけたんだ、流石です。廣済堂、エライ事になっちゃいましたね~。また、お邪魔しまっす!

    • miyabian より:

      驚愕、嬉しいコメント!!元気ですか?かなり会いたく・・。グループの役員連中に何人か同期が居るので気にはなってますが、上場企業なので一般株主的には却っていい事かも。でも我々としては・・・。寂しさ通り越し悲しく・・・。またゆっくりコメントします。記事も寄稿します。元気で活躍下さい。

  3. 酒井寛 より:

    雅庵様、廣済堂検索していて、偶然見つけました。当時のこと、色々お世話になったことも含め、懐かしく思い出しました。
    「筆者が東寺の総務課長からの呼び出しを受け」このフレーズの誤植訂正お願いします。岡田さんが1年前に、見ていたとは。

    • miyabian より:

      コメント感謝!!大量のスパムメールに紛れ、貴投稿に本日気が付きました。申し訳なく・・。目下戦没者遺骨収集活動から内地に帰還した直後で関東徘徊中。皆、各位同志で思い入れ大きく、廣済堂という言葉に反応するのは強い連帯感の表れだと感じています。小職の近況はフェイスブック等に逐次アップしていますので末永くお付き合い頂ければ嬉しく一気に校正せずアップする記事で誤字脱字多いと思いますのでご指摘の部分、いずれ修正します。感謝です。ありがとう!!

  4. N川 より:

    雅庵様
    たぶん大学の先輩でもあるN田さんですよね?
    匿名ですが2年後輩の同窓生のN川です。
    豊中工場が無くなったことを知り、寂しい限りです。
    私は、たくさんの上司の方や先輩方から色々ご指導いただいたのに、
    花咲かせられず中途退職してしまいました。
    今はご縁をいただいて母校に還って後輩の支援をしております。
    時節柄、お身体にお気をつけください。
    今後の記事を楽しみにしております。

  5. N川 より:

    雅庵様
    偶然発見しました。
    恐らく大学の先輩のN田さんではないかと・・・。
    後輩のN川です。(匿名でスミマセン)
    私は、皆さんに色々ご指導いただいたのに、実を結ばせることができず、
    中途退職してしまいましたが、たくさんの想い出があります。
    それだけに豊中工場が無くなったことは残念でなりません。
    現在は、母校で働くご縁をいただき、後輩の支援をしております。
    時節柄、お身体に気をつけてお過ごしください。
    新しい記事を楽しみにしております。

    • miyabian より:

      お元気な様子で安心しました。時折貴兄の居たと言われる上津島を通過する際、お元気かなと案じていましたが、母校で活躍とは羨ましい限りです。目下今月1日から16日迄の硫黄島戦没者遺骨収集調査派遣から内地帰還直後で明日の朝関西に帰着します。いずれ再び同志の集まりを持ちたいものですね。フェイスブック等で近況を継続アップしていますので宜しければ友達申請ください。近い内にお会いしましょう!!人生はこれからです。お互い与えられた土俵で頑張り続けましょう!!