在籍した企業③『廣済堂其の三』関西廣済堂緊急情報豊中工場閉鎖・フェイスブック投稿記事より

丁度「在籍した企業」連載中で、投稿をサボっている間に急なニュースが飛び込み・・・、廣済堂の豊中工場が閉鎖となった。筆者が在籍した元「㈱関西廣済堂 本社工場」の閉鎖である。

工場部門閉鎖の二日前に現場に訪問。懐かしい面々と会い、憂愁の寂しさを味わった。その時の情景や感情をフェイスブックに投稿。ここにその記事をそのまま貼り付ける。理由は訪問直後の感情が生々しく表現できたから・・・。横着ご容赦あれ!!(一部修正あり)

『最後の訪問・廣済堂』(9月28日・大阪府豊中市)
入社以降関西廣済堂の三大奇人と言われ、会社の為に間違ったと感じる事や信念に反する事には役員決定事項にでも抵抗した同志二人と三人で訪問。その同志二人は定年後迄勤め上げ、一番辛抱の足らなかった小職としてはこの地に再び三人でいる事の喜びと、当月限りで工場閉鎖となる事の哀愁が混在した一日であった。
想い出せばこの工場建設中に、少し離れた住宅街の中にあった木造家屋を寄せ集めた当時の工場、それも二階にある事務所の木の床に穿いた隙間から、一階の製本工場が覗けたような町工場に大学四回生の時に会社訪問。就職氷河期ににも拘わらず、有難いことに複数の内定をもらった他の企業を蹴り、学生結婚の新婚早々、自宅から近く、生涯をかけて企業人として頑張り、自身も貢献しつつ共に大きく育つ夢が持てるという理由で選んだ企業。
その秋、「新工場竣工時(翌春)に全社員に辞令を交付する」という事で、書を嗜んでいた筆者が当時の総務課長からの呼び出しを受け、学業や卒論作成の合間を縫って180名分の辞令を書いた。お陰で入社時には全社員の名前を覚えることができた。その辞令の用紙を受け取りに訪問したのが下に並べた写真の三枚目に写る立派な玄関ロビーであった。その後最盛期には関西廣済堂管掌だけで1,100名、廣済堂グループ全体では4,500名の大企業になっていた。
それから10数年後。会社は大証に上場し、44名の同期社員で、家庭の事情や結婚退社の者以外の同期は配属された職場で頭角を現しつつある中、総務課に配属された筆者はその後ほぼ全ての職場を経験し(総務、組版、製版、印刷、製本、発送、営業)、最後は「企画制作室(デザイン部門)室長を命ず」の辞令を受け取った直後に退職するまでの18年余。その間、便所の掃除や植栽の剪定などの非生産的な全ての業務はもとより、苦しかった株式上場担当課長を経て、官公庁営業担当責任者として任ずる迄、真摯に頑張った。企画制作室室長の前任者は取締役部長だったから、退職せずにそのまま受けていたら42歳で部長位にはしてくれたのだろうか・・(笑)
色々あった。台風時には万一に備え、都度社内で夜を明かした。頑張って立ち上げた安全衛生防火管理組織ではあったが、優良防火管理者として外部表彰をもらった直後に機械設備からの社屋火災も経験した。入社後一年の部下を事故で無くしもした。機械で指を失った部下の切断された指を見つけて救急車を追いかけ病院に運んだこともあった。親睦組織(同志会)の事務局長在任中、いくつもクラブ活動を立ち上げた。書道部、サッカー部、サイクリング同好会、自然クラブ・・・。その他写真愛好会や山岳部、釣同好会などにも属し色々外部にも出た。卓球部の関西代表として東京の大会にも行った。自衛隊研修も新入社員入社時研修の引率も含め、板妻や空挺習志野など10回ほど体験入隊した。創業者の櫻井義晃会長の地方視察の御伴や、得意先接待の台湾旅行や中堅社員研修の洋上大学にも行かせてもらった。その他数え上げればきりがない。そう、自社の社員として文字通り滅私奉公した。残業時間は200時間超えたこともあった。走馬灯のようにと言うのはこの事だろうと思う。
櫻井会長はよく言われた。「人生の節目と言えるものは3つ、産まれた時、死ぬとき、そしてもう一つは、社会に出た時。昔で言うと元服の時。結婚や出産などは人生の単なる出来事。社会に出るという事は産まれる、死ぬ、と同等の人が生きていく間の大きな節目。」。筆者もそうして現在の人格を育ててもらったと感じている。その事は、転職した際にも確信した。よって、大阪(豊中)工場のみではあるが、この工場が閉鎖されるのは自身のルーツが無くなるような気がしてならない。
もうこの歳になり、新工場入社第一期として、大げさに言えば自身の人生と共に、育ててくれた道場が消滅するような気がして不思議な気になる。そう言えば卒業した小学校も中学校も閉校になった。そして今回社会に出た時の職場までも。加えて言うと退職後転職した在宅介護のコムスンも筆者退職後にその存在は消滅した。このままいけば人生を終える頃には、祖国日本も消滅してしまうかもしれないと変な危機感を覚える。自身はそれでもいいが、そうならないように願うのは今回の寂しさを体験したからだと思う。先輩、同志、後輩の全てが断腸の想いであろう。
感謝
以上が投稿記事である。相対性理論かドップラー効果か・・、何かに似ているこの人生。いつまでも、そう、死ぬまで自身と時間との競争は続くような予感がしている。
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