■贋作・見分け方■『偽物の端渓②』均一な石色・駄作・新作・実用には?

以前、「偽者の端渓」というタイトルで樹脂混の練硯の事を投稿した。今回はまた新たな類似硯について簡単に述べる。

あくまでも、自身の浅学な私見に基づく投稿内容である事を踏まえていただきたい。

前回、紹介の「燃える硯」は、かなり以前からいろいろな大きさ、様々な意匠造形、良し悪しのある仕上がりにもかかわらず、磨墨、墨汁の溌墨、耐久性という見地から見ると実用には堪えた。

将来の転売や投機といった真正の古硯に拘る方々には全く以ってけしからん硯ではあろうが、実用性ということだけを追い求められる方には、ユニークなデザイン、細かな彫刻(型押し?)、安価な道具という事などから、普段使いの硯という事で文房に置かれるとしても間違っては居ないと考えている。

価値観は各人様々なので、他者が他の考えを否定できる事ではないが、製造者がこれを「端渓」と偽って世に送り出している事が最大の問題だと考えている。

しかしまあ、日本人の端渓愛好家の中には、「馬肝色」の石であれば間違いなく新坑であろうとも端渓硯の一種であるかと思われる方も居るに違いない。

元々粘板岩系(千枚岩他を含む)の硯石を多く硯材としてきた日本にはなかなか産出しない色の硯で、山口の赤間石がそれに一番近い色なのであろう。

逆に端渓にも漆黒の物も稀にあるが、磨ってみるとやはり粘板岩質の物とは違う磨り味である。鋒鋩の立ち方や硬度、密度が違うのであろう。

今回紹介の物は最近入手の物。

幸か不幸か、硯背角に1mmに満たないごく小さな欠けがあるので、断口面を観察。天然石のようだ。そして、燃えない(笑)!

また、硯面全体を覆っている彫刻にも、以前よく見かけた継ぎ目や気泡、そして図柄の切れ目も一切無い。

ただ雰囲気が美しすぎる。材には石文らしきものは一切無く、造形も整然としすぎている。ここからは多くの硯や骨董品を観てきた勘によるものだが、刻された線や図柄の彫刻に力が無い。

これだけの硯なので、由緒のある物なら、線質など、もっとキリッと締まっているはずだと考える。

また、石質については均一すぎる。やはり練り物なのか。

原点に帰って、練り物でも「道具」として使えるのか。そう考え直し、再び今回も墨を当ててみた。

もとより形態が鑑賞硯であるようなので、墨堂に小さな油煙墨の古墨を当てる。

さて・・・。きちんと磨れだした。墨汁は黒くなる。しかし心持ち磨墨のスピードが遅いようである。溌墨は?淡墨の状態での溌墨は悪くないようである。ただ、以前の「燃える硯」系の物と比すると、満足な濃さになるまでに明らかに時間がかかる。かな書きに向くといわれる歙州などに比べても時間がかかる。

端渓であればこのデザインもありであろう。しかし石質は端渓ではない。驚く事に再度磨り直すため、一旦洗ってみたが滞墨がほとんど無く、すぐに墨堂はきれいな状態に戻った。

いろいろな事を総合して考えるに、おそらくこの硯も、新技法で作り出された新しい人造硯か、もしくは硯材には向かないよく似た色の石材でごく最近作られた端渓まがいの物だと判断した。

書道人口が増え、日本人も裕福になり、高齢になった往時の古硯マニアの放出品も市場には増える中、売れ筋商品として、本来の道具としての意味を考えずに作り出された物のように思う。

ネットでは巷にいろいろな方が「端渓の見分け方」などの投稿をされている。それぞれに見識のある方の投稿は筆者にとっても本当に参考になる。しかし、そうでもない投稿、ただ、磨れない、つるつるだ、きれい過ぎるという類の記事も多い。

要は、実際に所蔵し、実際に使い、デザインや造り方の歴史に則った学習もし、最終的に道具としての愛情をもって甲乙をつけるべきだと考える。

ちなみにこの硯については継続して研究中であるが、現時点での判断は、やはり人造硯であろうという事にしている。

しかし、全体的には、一見し見ごたえのある立派な出来である。そう思うと真贋関係なく、自身のコレクションになってしまいますが・・・。

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