『風蘭(富貴蘭)』開花時期・管理・育て方・野生種・日本固有・一属一種・夜間芳香・武家愛玩

19の頃、それまで高校二年生の頃から盆栽や皐月に現を抜かしていた時期に突然、東洋蘭の愛好家である、父の友人に頂いた数鉢の蘭。彼の庭には金稜辺蘭、報歳蘭、春蘭等に混じって、小さな一群の「富貴蘭」や「長生蘭」なる物があった。

17の修学旅行の土産に、何か残るものをと九州で購入した五葉松とソテツの鉢も無い根〆状態の物を、土も無い大阪のど真ん中、中之島居住の筆者は連日土や鉢を探しに梅田の園芸店回りをしていた。その頃は梅田の地下街にはまだまだ傷痍軍人の一団や浮浪者たちが居た時代ではあったが、平和で豊かになりつつあった時代でもあり、阪急や阪神といった大きな百貨店の上層階には必ず園芸コーナーなるものがあって、そこではまた、時期により「小品盆栽展」や「春蘭展」、「ヒバ展」、「サボテン展」や「洋ラン展」、それに一つ何万円何十万円もするような「古渡の植木鉢展」なるものまで催されていた。

それらの売り場でも、風蘭、石斛という物を観ていた筆者はその風変わりな形態の「風蘭」に強く魅せられた。東洋趣味である風雅さ、「そよ風がそよそよと吹く野に揺れる春蘭の葉」、といったようなイメージでしか蘭科の植物を観ることができなかった者にとって、この武骨で、風に揺れる事など一切ない立体的な風蘭の姿には却って新鮮味さえ覚えていた。

「風蘭」。園芸種の別名「富貴蘭」。武士が参勤交代などの際、大名や上級家来の籠の隅に、その極上の芳香ゆえ吊るされたという一鉢の風蘭。父の友人に一鉢もらった時にはそのような逸話は知る由も無かったが、数か月後にははまり込んだ。

ところが、古典植物である春蘭や万年青、観音竹など、当時は投機の対象でもあり、自然界の突然変異の芸が尊ばれた時代であったので、風蘭もその例に漏れず一芽何万円~何十万円という高価なものが多く、とても手が出るものではなかった。いくらかは少ない小遣いで買える弱った万年青や春蘭の小株の高級品を購入してみたが、とても経験の浅い高校生には満足に育てることは叶わなかった。ましてや愛好者の限定された富貴蘭においては情報も少なく、必然的に野生種の原種、何も芸の無い物で満足することに落ち着いた。

しかし、後のある時、原種風蘭の大株を数鉢頂いたことがあった。数十株という立派な大株の数鉢は、毎年素晴らしい花の乱舞を見せてくれた。乱舞というにふさわしい姿で、その香り、夜間には数十米離れたところにも届いた。

風蘭は、日本固有の一族一種。春蘭のシンビヂュームや石斛のデンドロビューム、そして当時洋蘭界での女王だったカトレア、その他バンダやシプリペヂュームなどとは違う「日本の固有種、一属一種」という言葉にも心臓を掴まれ、その後幾度と育てることになった。

着生欄の特性上、環境さえ整えば、灌水、日射、施肥は不要。空気中の湿気を吸い必要な程度の日射で光合成をし、微生物の運ぶ肥料分で十分事足りる生命力。それでいて開花時には素晴らしい芳香。花付きが良く、葉も根もその先端の色や花茎の色までも鑑賞の対象となる。ずぼらで横着な筆者のような者にでも、愛情さえ与え続ければ十分に育ち続け、楽しませてくれるという素晴らしい古典園芸品種である。

通風を良くし、水を与えすぎず、日陰が最適。詰まるところ、これさえ守ればスクスク育ち、楽しませてくれる。まさに今の時期、満開の素晴らしさと往時の武家が嗅いだであろう素晴らしい芳香に包まれている。

(写真は、近年購入の山取り品原種風蘭や、今は廉価となった品種物富貴蘭等、開花の美しい物。この歳になると厳格に「風蘭鉢」になど植えずに、万年青鉢や手近にある商品盆栽鉢などに植えて楽しんでいる。)

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