関西の祭●えべっさん●各地の戎神社・西宮今宮堀川野田・・・

関西の新年早々の風物詩、「えべっさん」。毎年1月9日、10日、11日の三日間催される戎神社の祭である。

近年、総本社である西宮戎神社の「福男」争奪の状況がテレビ放映され、全国的に認知されだしたようであるが、関西地方、特に大阪や兵庫ではかなり古い時代から商売繁盛祈願の祭として庶民にも認知されてきた。

関東では「お酉さん」で賑わうのと同じように、西日本ではこの寒い時期、新年早々個人商店から大企業の経営者にいたるまでほぼ殆どの事業主が参ると言っても過言ではないくらいの盛況なる祭である。

七福神の一人、日本の国土創生の神である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の息子とされる恵比寿神を祭る戎神社が、こぞってこの三日間に祭事を行う。

昼間はもちろんの事、夕刻以降も終電に近い時間帯まで、電車の中は縁起の飾り付けを沢山付けた福笹や熊手、蓑等を下げた人々を多く見かける。商都大阪では新年仕事始めが落ち着いた頃の毎年の光景だ。

関西人は「えべっさん」とは言うが、「えびす様」とは言わず、その独特の親近感を持った方言は神様にまで浸透しているいい例であろう。漢字で書くと「恵比寿」とも「恵比須」とも書く。

前述のように、西宮戎神社はあまりにも有名になったが、大阪の今宮戎神社(大阪市浪速区)や堀川戎神社(大阪市北区)もその立地柄かなり参拝者が多く、また境内に戎神を祭っているほぼすべての神社は同日に祭礼を行う。

筆者が幼少の頃は、当時住んでいた家から近い野田戎(大阪市福島区)に毎年家族で出かけ、学生時分は露天商のアルバイトととして十三戎(大阪市淀川区)鳥居前で「福飴」を売っていた記憶がある。どこに出かけても人出は多い。そしてこの時季なので寒い。

他地域の方々にも理解いただけるよう、以下に少しエピソードを記す。

野田戎では、境内中央に大きな樽が設置され、それが賽銭箱代わりになっていた。縁は1.5mくらいの高さであったろうか、幼い筆者には中が見えないので父に抱き上げてもらい毎年中を覗いた。かなりの小銭(と言っても当時は百円札のあった時代)に混じって、五百円札や聖徳太子の千円札も何枚か、そして何やら高そうな指輪やお金でない物も入っていて、それを見ている間にも周囲や後方から硬貨が放り投げていかれる様子を懐かしく想い出す。時には印刷の一億円札等も入っていた。子供心には、印刷の一億円でも神様は喜ばれるのかと不思議だった。なぜこんなに大きな樽でないといけないかは、大人になってから理解できた。背の高い大人なら手を伸ばせば入れられた賽銭に手が届くからであろう。純粋だった子供の頃の記憶である。

また、中学校の校区にあった堀川戎では、オフィス街が近いという事から、狭い境内に三日間の終日大変な数の参拝客が集まった。平時は殆ど人のいない神社の向かいの家に住んでいる友人宅に通学鞄を預け、良く二人で参拝者たちが持参し、神社が回収した前年の笹や熊手などの縁起物を集積する場所にもぐり込んだ。文字通り「もぐり込む」で、その高さは2mから3mあった。まるで笹のクッションである。これも今から考えると、1年間埃だらけになっても社内や飲食店内の壁に飾ってあった物なので、非常に汚い物も多くあるのは当然なのだが、そんな事はお構いなしにあるひとつの目的で笹の山に攀じ登った。それは全ての笹にぶら下げられている縁起物の布袋の中に入れられている「堀川戎」と刻された縁起銭を回収するのが狙いだった。当時のコインブームで、今宮戎の「福小判」、野田戎の「真鍮小判」、そして堀川戎の「古銭型縁起銭」を探すためだった。一つ一つの袋の中身を見ていくと、すでに縁起銭の抜かれたものが多かったが、たまに現金硬貨や紙幣が出てくる時もあった。100円でも中学生にとっては大金の時代だったので五百円札などが入っていたら驚愕である。今なら考えられない事であるが、そんな我々を宮司は何も言わず黙って見ていてくれただけであった。ひょっとすると宮司も現金が入っているなどとは考えなかったのかも知れぬ。えべっさん終了の翌朝には今で言う産廃業者のようなトラックが来て、すべて笹ごと回収して行った。彼らも知らなかったのであろうか・・・。追憶は止まない。

さて、もうひとつ紹介。昔の歓楽街である十三戎では露天商の一員として、えべっさん名物の「福飴」売りに回された。仕事の配属を命じたのはテキ屋の親分であろうか、怖いおじさんだった。「ねじり飴とお多福飴の二種類しかない飴を、決まった値段で売るだけなら楽勝。」と喜んだが、「これは会の資金になるので一切ごまかせない。よって、きちんと金銭管理する事。わしもちゃんと金払って買うんや。」と言って現金を払い、二袋持って行った。なにやら恐い世界に違いない・・・と急に体が硬くなった。丁度門前であったので、飛ぶように売れるのはいいが、少なくなってくるとまたおじさんがどこかから大量に補充に来る。三日間二種類の飴を同じ金額で売るのみ。最後の方は飽きてきた。おまけにこの時季の商店街のアーケードの途切れた吹きさらしの場所の寒さはかなりこたえた。「他にもたこ焼やなんば(大阪弁・とうもろこしの事)や、ベビーカステラや、暖かいものが沢山あるのにこの飴ばかり売らされて・・・」という心境になってくる。そして三日間が終わって、最終、屋台の片付け。確か深夜11時半位であったろうか・・。「昔は朝方まで参拝客が途切れなかったのに、今の時代は終電の頃になると店じまい。良いか悪いか日本も変わったものだ・・」等と聞かされ、時代の流れを感じるいろいろを若い間に体験させてもらった。

そう、えべっさんでは、福笹・熊手・福蓑のような縁起物。そしてお多福飴やねじり飴。そして帰りには笹などを下げて同僚と一杯。そして三日間。最終日には残り福。福娘に独特の囃子(十三ではその文字をもじって「トミ(富)戎」と呼んでいる。)。これらはおそらくどこの戎神社でもほぼ同じであろう。今年は月、火、水なので、そして月曜日が休日なので、家族連れでも行き、勤務帰りに同僚とも行くという方も多いであろう。天候がよければ良いが・・・。

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