天皇皇后長野県行幸啓の様子(1)・飯田天竜峡りんご並木阿智村満蒙開拓

遂にこの日は来た。行幸啓にて当地に入られる平成28年11月17日。

前夜から緊張し眠れぬ、などと書くと時代錯誤のように思われるだろう。しかし少し理由がある。

過去何度か申請し、この度初めて皇居の清掃奉仕の参加が決まり、年明けに参内する。8月の戦没者追悼式にて、武道館でのご臨席を賜った以来、お目にかかれるのはその年明けまでと考えていたが、雅庵主の棲む南信州に行幸啓されると聞きこの日を心待ちにしていたからである。

午前中は先日庵主が入館した「満蒙開拓平和記念館」にて生還者の話を聴かれるという事で、その後天竜峡にて昼食と聞く。天竜峡は自宅から10分以内の景勝地である。移動なされる時刻より早めに家を出た。

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ご予定経路には早くも大勢の制服や私服の警察官があちこちに立っている。車を停め、通過ご予定時刻やお迎えする適当な場所を訊く。思いのほか皆丁寧に対応してくれる。「天皇皇后両陛下の行幸啓」ということで、日ごろ偉そうな警察官も緊張しているのか。

二三箇所事前に当たりをつけた場所があったが、走っていると数十メートルおきに人垣ができている。後で解ったが、警備の関係等で、お迎えする場所を決め、そこに参集者たちを集合させているようだ。

そんな場所を何箇所か通りすごし、庵主は天竜峡駅近くの場所の人垣に入り込んだ。警備の都合か、ネットフェンスで仕切られた広場だったので収容所に入れられたような気分になった。またその中でも広がって立つことは許されず、道路側にまとまるように言われ続けたので更に不自由な気がした。指示を出しているのは私服や制服の大勢の警官なので余計にそう感じた。

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晩秋の信州もこの日は快晴で気温も高く、申し分ない日和である。

程なくして車列が来た。30分前の合図の車、10分前の車、そして1分前を知らせる車。そして、二台の白バイに先導された黒塗りの二代目だ。近づくと左側の窓が開いた。皇后陛下である。その向こう、お隣の席には天皇陛下が。両陛下ともこちらをご覧になり手を振っておられる。皇后陛下がかなり大きく見える。その瞬間お迎えの人垣から悲鳴や歓声が上がる。手に手にスマホやカメラ等で撮影している。

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地形の関係で、車列が下り坂を下ってこられるのが神の降臨のような気がした。思わず「万歳、万歳」と叫んだ。叫んでいる間に、速度が遅いはずのその車は一瞬の後には人垣の向こうになり視界から消えた。万歳三唱の筈が二唱で終わってしまった。

通過し、右折された後は警備解除かすぐに解散になったが、天竜峡の踏み切り交差点付近は、たまたまその天竜峡に訪れていた観光客も、また周辺の者や、あちこちでお迎えした衆が思い思いの方向に向かって歩き出し、何か異様な光景だった。天皇皇后両陛下という重みがそうさせているのだろうと感じられた。

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さて、それでは自身は午後立ち寄られる飯田へ移動するとしよう。

(次号に続く・・)

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