『さよなら3100系』●阪急電車・能勢電鉄・妙見口・川西能勢口・鼓が滝・日生中央

本日4月18日、日曜日、駅前すぐの自宅から買い物に出て、踏切周辺の様子がいつもと違う事に気が付いた。

踏切に数名の撮り鉄カメラマン。大井川鉄道の千頭や「山口号」の走る萩、津和野ではない。以前は「大阪の北海道」と呼ばれた北摂能勢や兵庫県川西市及び猪名川町を走るローカル線、能勢電鉄沿線の住宅街での何の変哲もない駅前での事だ。

踏切を渡り、線路沿いに目的地に向かう。あちこちにカメラを構えた人が居る。5人、10人、15人・・・。線路の向こうにも・・・。

?・・・「これは何かあるぞ!?」。「まさか、ここに蒸気機関車が走ってくるとは思わないが(線路幅も違うし‥)、何か珍しい車両が走るのか・・?」

と考えていた矢先、列車が北方面から走ってきた。・・・・、でも何の変哲もない日頃の光景、日頃の電車。そして、勝ち誇ったように冷静を保って周囲を見ても何も変わっていない。先刻来気になっていた撮り鉄の三脚や人影もそのままである。

ローカル線とはいえ、ここは割とダイヤが密であり、JRの幹線と雖も飯田線のように列車が来るのは1~2時間に一本というような事はない。10分くらいあれば次が来るはずだ。周囲の撮り鉄や携帯を構えた主婦達の様子を見て、その時は近いぞ!と、次の列車迄待つことにした。

ぐずぐず考えていた矢先、次の列車がすぐに来た。今回も「何や!!普通の車両やんか!」と思ったが、一応目の前を通過する時、自動車に乗ったまま(勿論駐車場脇の空き地に停車!!)シャッターを押した。うまく撮れているとは思わなかったが、一応次に来るであろう珍しい車両を撮影する為の練習と考え・・・。それがこの写真である。

二枚目は瞬間的に撮影方向を変えたので露出がめちゃくちゃでオーバーオーバー、かなり天空を飛んでいるような列車写真になっている(車のルームミラーだけがしっかりと映っている。笑)。しかし、その瞬間、〈さよなら3100系〉の文字が見えた。車体の側面に表記されていた。

1900年代の終わり頃から、そう、阪急電鉄の車両として活躍し、阪神大震災の折に崩落した伊丹駅の駅舎の下敷きになって廃車になったのもこの型。筆者にしても、阪急沿線から能勢電沿線に引っ越してきても、やはり大阪市内に出るには一番多く乗った車輛である。多く製造され、当たり前のように乗車してきた車輛が、ここに来て、今月末で、それも阪急電車の線路上ではなく、当地、能勢電鉄の線路上で最期を迎えるのは寂しい限りだ。

さよならイベントは今月の引退を期して色々開かれるようだ。脱サラし、車生活に浸かりこんだ身としてはおそらく追っかけもしないだろうが、時間の経過や時代の終焉、そして自身の老化と、ほんの少しの惜寂を感じるものである。

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