節句人形

「端午の節句」と言うと、現代日本人には「上巳(桃)の節句」と対比する耳慣れた「節句」である。「人日」や「七夕」、「重陽」の節句と並ぶ五節句のひとつである。とは言え、やはり昨今では、先の二節句が一般的に庶民に親しまれている事は間違いなさそうである。桃の節句の女子、端午の節句の男子の健やかな成長を祈願する「雛人形」、「五月人形」を飾り付ける風習などは、江戸時代以前から伝わる日本の粋たる文化遺産であることは周知の習慣であろう。

さて、その「節句人形」の処分についてである。昨今、処分方法を思案されている方々が多いと聞く。粗大ゴミ対応は論外として、人形供養、ネットでの個人販売等のほかに、中古人形売買専門業者への譲渡もかなり多いらしい。子達の立派な成長を見届けた後の不要物という意味では現代社会においては趨勢であるのかもしれないが、個人的には寂しい限りである。人形によっては有名作家の作品もあり、その込められた願いの性質と相まって、わが国の文化遺産であることは間違いないと感じている。

「金太郎」や「武者人形」といった、「節句人形」はガラスケース等に入っていても比較的小さな物が多い。しかし、段のある「雛人形」となると、一旦不要だと感じてしまえばかなり大きく、困っておられる方が多いのも現実であろう。断捨離の進んだ戦後以降、捨てるのも文化の一つになってしまった世相を反映したのか、巷のネットオークション等でも散見される。特にそのような大きな雛壇を擁した飾りは、それぞれの部品ごと売られている事も見かける。時代の流れであろうか。

商品として販売する事や譲渡することの是非についてはそれぞれの事情があることであるから、ここでは論じない。しかし、その場合でも、叶うなら美しく化粧直しをし、嫁がせる親の気持ちになって手放して欲しいものである。人形とは、就中、更に踏み込んで言えば節句人形とは、それだけの対応をしてもいい対象であり、且つそうして送り出すだけのものであると感じている。

伝統や文化を重んじる事はもとより当然であるが、「物を大切にする。」という伝統を後世に残していく事こそ子々孫々引き継いでいきたいものである。そういう意味で昨今の「節句人形」の処分の方法については十二分に熟考して対応したいものである。

粗大ゴミ収集現場を現認し、そう感じた。節句人形達の新しい門出に幸多からん事を願う。

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