関西の骨董市●番外編『骨董品ブームの盛衰に思うこと』●蚤の市古物商蔵出し大阪徳島護国フリマ

骨董品マニアとして、収集から嵩じてそれらを露天販売するようになった経験から、昭和40年代からの骨董品盛衰についての想い出のいくつかを紹介する。

子供の頃、現在に至るまでまさしく過去最大のブームであった切手古銭にはまり込んだのは中学生になった頃であった。丁度東京オリンピックが終わり、大阪万博が始まろうとしていた頃だった。

生活の全てに戦後復興の成果が目に見えて出てきた頃であったのだろうが、戦後10数年経ってから産まれた我々にはそんなことは感じることもなく、復興に尽力した戦中世代には申し訳ないことではあるが、日々豊かになっていく時代の素晴らしさを今から思い起こせば全て享受していた。

その頃の大ブームというのは10年、20年と経ち衰退していった先の短かった短期間のブームではあったが、今から考えると恐ろしく急激な盛り上がりを見せ、留まる所知らずの勢いで各地で「スタンプ店(切手屋)」「コイン店」が乱立した。伴い、「大即売会」なるものがいたる所の百貨店の特設会場で開催され、祭りの縁日でも、金魚すくいや亀釣り、飴細工、綿菓子などと混在し切手や古銭も露店で売られるようにもなった。

「月に雁」「見返り美人」「写楽」「蒲原」「竜切手」等に始まり、「旧金貨」「特年円銀」「未発行貨」などなど発行数の少ない希少な物はマニア以外の人々から見ると「何でこんなものが・・・」という価格に跳ね上がり、遂には中世の小判大判金銀貨、果ては中国古代の古文銭や、極めつけは現行貨幣の少数物、そして海外切手やコインに至るまで、対象は時代や洋の東西を問わぬ大ブームに成長した。

同時に投資の観点からそれらを投機の対象に据えた商法までも発生し、それらはそれで一時期の経済成長に貢献したとも思われる。切手、古銭、貴金属、そして刀剣や古美術品にいたるまでそうであった。今から考えると「一億総白痴化」を企図した進駐軍の日本人弱体化、即ち拝金主義の浸透政策に乗せられた世情になったのであろうが、そんな中でも気がついた頃にはそのブームは終焉を迎え、決して全てが瓦解することがなかったのは幸いであった。

話は戻るが、中学生になって通う学校の近隣にも「切手・コイン商」の出店は続いた。よく学校帰りに通った。そして友人たちとの交換会も始めた。その過程で、「古い物」「美術品」等にも目が向き始め、当時若年者はあまり出入りしなかった骨董品店を見つけては入り込んだ。薄暗く、汚い店舗に茶器の釜や刀剣鍔、キセル道具を見つけると欲しくて仕方なかった。友人たちから譲り受けたそれらと同様のものを持ち込み店主に販売。その代金で古銭を買ったりもした。変な中学生であったことは自認していた。

社会人になってから、収入が得られ始めて以後約10年、学生結婚だった故、暫く生活の余裕もなかった時期をくぐり、久々に大阪駅前のコイン商に訪問した。中学生の頃1万円は下らなかった一円銀貨が2千円余りで販売されていた。知らぬ間に日本人は目が覚め、ブームは終焉していた。残ったのは真の収集者と骨董品に対する真の評価であった。

その頃安定していた日本人の生活に「骨董品特集」なる書物が蔓延していた。どこの本屋に行っても焼き物や古民具特集の出版物が溢れていた。それらを読むと、骨董品の価値や素晴らしさや相場というものが掲載されていたが、それらは当時でもやはり高めに記されていたように感じた。おそらく業界の思惑が働いていたのであろう。そんな書物の中には「関西人の骨董商」には気をつけろ、という類の、ひどい蔵出し手法についても書かれたりしていた。骨董商イコール悪人の構図が作り上げられていた。

中小製造業の管理職ではあったが、その後上場スタッフの一員として社員には真摯に、世間には正直に務めてきて上場を果たした身としては、見えない部分の多い骨董業界は全く別の世界のように見えた。

戦没者慰霊のボランティアがきっかけで靖国神社神苑での骨董市出店に始まり、現在関西を中心として小さな蚤の市ばかりを転々とする体験を重ねている見地から言えば、他の業界と同様、多様な出店者は居るには居るが、今の骨董市会場には比較的まじめな出店者が多いということを喧宣したい。おそらく一時期の悪どい商法で食っていける時代ではなくなったのであろう。

この世界に入った当初、また、今でも骨董全盛期を過ごしてきた古手の業者においては「仕入れた価格の倍では売らないと」と指導を受ける。しかし筆者は商売下手なのかいつも二三割の利益しか得ない価格で販売している。それも一攫千金を夢見ることができた昭和の時代と違い、その物の価値とは別に、純然たる仕入れ値の二三割増しの価格で譲る。お客も販売者も満足というのが理想だと確信している。

骨董ブームが以前の投機であった時代とは違い、まじめに古きよき時代の雰囲気を求めるという全うな趣味に変わった今、これ以上の低迷崩落はないとは考えるが、更に業界一丸となって立て直しを図っていくことが大切と思う。

中国では「骨董商は金持ちが多く、社会的には地位が高いと見なされている。」という拝金主義の世相の国では無くなった筈である。会主として創めたばかりの骨董市主催をする立場として、初心忘れず心して運営していきたいと考えている。

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