■矢立収集■今や骨董品、旅道中筆記用具・赤銅、真鍮、銀象嵌、七宝

十数年前、矢立収集を思い立った。と言うより、書を嗜むので、以前から興味があった。

「ヤフオク」が「ヤフーオークション」とのみ呼ばれていたころで、自宅に居ながら入手することができた。出品物を観ていると色々欲しくなり、目は越えるが財力が追いつかず、結果今から思うと銭失いに終わった。というよりも、わずかな救いは自身で手を引いた。

しかし、入手した物は手入れもしないがそれなりに眺めたり手に取ったり楽しんでいる。

さて、その機能については周知のとおり、江戸期には硯の携帯はしなくなり、墨、筆、紙切り刃物などを収納し、鉛筆や万年筆の無かった時代の筆記用具として、旅をする者や外出先で文字や絵を書く者には必携の道具だったであろう。筆ペンなる物が存在する今ではその必要性を感じる者は皆無に近い。

墨は膠で固めてあるので摩り下ろし、墨汁にすると数日後には必ず腐る。腐ると異臭を放ち、且つ紙への浸透も悪く再び使用には向かない。よって、腐敗防止を第一義に、赤銅、青銅、真鍮(黄銅)などで矢立を造ることになる。金でもいいのだろうが、一般人にとっては経済的ではない。江戸期には、金に似た光沢の真鍮なども高価だったと聞く。銅の酸化した錆。すなわち緑青の猛毒で腐敗の因を作る雑菌を始終殺すということで銅合金の物が殆どである。

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当然鉄製の物は直ぐに錆びて役に立たない。文人趣味が流行すると、銀、木、陶磁器、骨製の物等も現れたが、銅合金製のものには機能面で追いつかなかったことは明白である。また、ボーキサイトが産出しない我が国では古い時代に軽くて美しく、加工しやすいアルミニウム製の物は一般的には全く無かった。

材質が制限されるので、矢立その物の形状に人々の芸術性の発露が向かう。色々な形を模した、たとえば扇子形の物や空想上の動物形、例えば龍形のものなども作られたようだが、利便性を重視すると角の取れた、そして突起のある装飾も施されていない物が大半であった。

しかしながら、洋の東西を問わず、贅沢ができる者は贅沢をする。よって、矢立においては直接墨(水分)の触れないような部分に金や銀の象嵌や七宝を施すといった、日本人ならではの格調高い装飾が見られた。今でも収集家たちの垂涎の的となる工芸品としての矢立である。

庵主は、庶民に身近に使われていた道具が好きである。道具としての命はやはり日常使いの機能美や使用感に宿っていると感じている。使ってなんぼ!という考え方にも賛同する。

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ということで、思い立った矢立収集は短期間で終わってしまった。残ったのは何の変哲も無い使い古された古道具である矢立ばかりで、そのまま手元に置くだけのことになってしまっている。

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