『中国上海・骨董品購入』急激な変化の波の中国・仕入れ交渉術⑧

気まぐれだが少し話題を変えさせていただく。閑話休題というところか。今回は時代をほんの少し遡って、10年ほど前の商都上海での状況を紹介する。

上海万博(上海世博)はおろか、北京オリンピック以前の上海は少し様子が今とは違った。断続的に継続して訪問していると、何事においても通常はその移ろいにあまり気がつかないものであるが、こちらも日本の社会に生きている身。最近10年前後の中国の発展速度と、現在の日本の平和や豊かさの中の安寧による世情変化の歩調が明らかに違うので、中国の大都会の変化は面白いほど現認できた。

12~13年ほど前の平均的な上海人の月収は、例えば、筆者が直接訊いた三ツ星ホテルで制服を着た服務員(ボーイ)の給料で、日本円に換算すると約7~8,000円。地方の農村で平均年収(月収ではありません)が、8,000円前後というのと比べると、上海人の裕福さは断トツであった。要はその年収や月収で普通の生活ができるということであるので、日本や米国の一般庶民の収入水準との違いに驚愕したものだ。もちろん統計の取り方の疑義もあるが、現金収入に限った違いということであろうが同じ中国国内でも上海人と地方人との貧富の差は歴然であった。

よって、文革以降の北京や大連や重慶と同じく、一攫千金を夢見た違法転入人(これら経済特区の都市には地方人は住めず入れず働けず)が後を絶たず、そのせいか浮浪者や乞食や反社会的分子(要はやくざ)も多く、乞食養成学校や人さらいも表面下で横行していたというのが現状であった。

表面的には日本の30年前。しかし現実には30年前にはなかった電子機器やインターネットなるものが短期間に急激に拡がった中国の様子は、あたかも子供が背広を着て会社に行くような・・逆に大学教授が幼稚園に通園するようなチグハグさがあった。携帯電話がアナログからデジタル回線に変わる頃の様子は日本のそれとは違い、上海市内で携帯電話なる物が出現したとたん日本で見かける性能より断トツに進化した機種があっという間に中国中に浸透、スマホの普及も日本より早かった気がした。

最近は見かけなくなった人民服の中国人も10数年前の当時はちらほら居るには居たが、市井の人民のファッションは、日本より約半年早く世界的な流行の先端を追いかけて走っているという感がした。中国で見かけたファッションが暫くすると日本で同様の流行を見る、という具合であった。

盆と正月が一緒に来た、という感のする発展であった。もちろん経済も諸水準もモラルも・・・。

実は筆者は骨董品の仕入れには上海以外にも訪問しつつ、メインは上海という考えを持っていた。それは、大陸の地図を見て、南から北から中国の辺境の各地からも特産物や地方色溢れる物が、位置的に一番よく集まりやすいだろうと考えていたからである。確かに当時筆者が行き始めた頃はそうであったかもしれない。今はそんな配慮は不必要な国である。大抵どこでもどんなものでも手に入る交通網が一気に整備進行中である。

前述の如く進化の速度の驚くほど速い中国では、今や高速道路はおろか(ETC近似のシステムもかなり前からあり)、鉄道もかなり整備され、日本の新幹線様の列車の線路はかなり拡がってきており、リニアモーターカーに至っては時速430㌔という営業運転も実際に行っていた。世の常で、急激な発展時には社会に必ず亀裂の入る部分があり、今はその部分で中国政府は試行錯誤している状態のように感じられる。

・・・次に続く。

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