●大阪の名所●『天王寺駅周辺』路面電車・阿倍野ハルカス・茶臼山公園・・・

大阪と一言で呼んでも、歴史的には摂津国、河内国、和泉国のそれぞれの一部や大部分の集合体で、関西人ならそのそれぞれの地域の気質の違いについては充分に理解されておられると思うが、平成のこの時代になっても、言葉(方便)すら聴いてわかるほどのまったく違った文化を持っている。

その中で天王寺というと、筆者、雅庵主が子供の頃(昭和40年頃)、小学校の社会科で「大阪の裏玄関」と習った。もちろん「表玄関」は現在の北区、大阪駅周辺で、天王寺界隈はそれから何十年もの間、路地を一歩入ると変わらぬ庶民の町であり続けた。そのような時代のスパンから考えると、現在の天王寺駅周辺の変わりようは、ごく最近の大きな変化と捉えるべきであろう。同じ攝津の国ながら、近世の発展に左右され続けてきた文化の違いによるものであろうか、今ではまったく別の地域とも取れるくらい違う。

さて、天王寺というと、JR『天王寺駅』、大阪市交通局の地下鉄『天王寺駅』、近鉄の『大阪阿部野橋駅』(近鉄では「阿倍野橋」ではなく「阿部野橋」と記す)、阪堺電気軌道の『天王寺駅前駅』、路線バス等の『あべの橋駅』などが集中しており、最近ではあべのハルカスがその威容を誇っているが、それにつれて周辺のみ再開発されターミナル周辺のみ大きく変わった。

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大阪らしさを求めると、難波や心斎橋周辺の俗に呼ばれる「ミナミ」の繁華街あたりが若者には有名であるが、明治36年に開催された内国勧業博覧会以後、東洋一を誇る歓楽街として名を馳せた「新世界」や、知る人ぞ知る「飛田新地」、歴史ある「天王寺動物園」、その他「四天王寺」や神社仏閣も多くあり、それらはみな徒歩圏内で、近世では「上方芸能発祥の地・てんのじ村」と呼ばれるごとく、文化・芸能に関しては国内有数の発信地であったことは間違いない。

大阪空襲で焼け野原になった大阪ではあるが戦後の復興は目覚しく、例に漏れずこの地でも庶民の底力で大きな回復を遂げた。天王寺界隈には、キタやミナミの雰囲気とは一線を画す庶民の息遣いが溢れている。西方にはあいりん地区などのドヤ街もあるが、一歩裏通りに入るとそれは人情味溢れる「大阪人」の典型のような人が住む長屋などが連なっている。意外にも昭和レトロの多く残っている町である。

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他府県に行くと「大阪のおばちゃん」という言葉をよく聞くが、いい意味でのその対象は、この天王寺周辺が一番多く出会うことのできる土地ではないかと思う。

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大阪には他にも、大阪城、海遊館、中之島周辺の時代建築物、キタ・ミナミの繁華街等々、食い倒れという食のジャンルを除いたとしても観光地は何箇所かある。しかしここ、「大阪の裏玄関」であった天王寺周辺は、今では立派な大阪観光スポットのひとつであり、強いて言うなれば、もっとも落ち着いて大阪を感じられる土地であるかと考えている。

庵主はキタの生まれ育ちであるが、大阪という文化都市に興味があり、観光で大阪人との交流を体感したい方には一押しのお薦め地であると考える。

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