★硫黄島戦没者遺骨収集、掘削調査立会い派遣内定★小笠原戦没者慰霊活動

東京都小笠原村硫黄島への久々の渡島が内定した。

1年3ヶ月ぶりであろうか。二三年前までは、渡島、帰還、再渡島と目まぐるしく続き、内地帰還後の帰宅から再び参加の為の着任まで、自宅に居るのは10日間程度しかない時もあった。

しかし、この島の遺骨収容事業に参画して以来、途切れることなく毎年度参加している。もうかれこれ6年目であろうか。

以前にも書いたことがあったと思うが、30歳の頃在籍していた企業から選抜され、「洋上大学」なる研修でグアム・サイパン島の戦跡を慰霊巡拝した折の最初の慰霊祭が、晴海埠頭を発った翌日昼間、眼前に硫黄島の陸地を周回しながら船上から献花献酒した時であった。

眼前に拝む擂鉢山。一切見えぬ人影に、無表情でそそり立つ断崖絶壁は一種異様な表情をしていたのを想い出す。

それから30年。もっともその洋上大学の際は上陸こそしなかったが、それから数えると渡島の回数としては今回が14回目になる。

今回のミッションは、硫黄島戦没者のご遺骨を収容することではなく、収容の為の掘削作業の立会いが任務である。わずか三四名の小じんまりとした派遣団である。

23,000名の硫黄島守備隊のうち、22,000名の方が亡くなり、いまだその半数しか回収できていないご遺骨の残り半数を可能な限り急ぎ内地にご帰還いただかないといけないという使命がある。ご遺族の高齢化が進む中もう時間がない。

日米の資料調査に始まり、あらゆる方法での調査。そしてそれに基づき、現地スタッフとともに壕や滑走路の周囲の掘削調査、超音波探査、徒歩による壕や陣地の発見に努め、それらの調査中にご遺骨が発見された場合、遺骨収容団が渡島し、丁寧に回収する。

実際に回収する遺骨収集団は数十名のことが多い。しかし、今回指示を受けた掘削立会いはある程度経験を積んだ数名で状況を報告する。実際の収容にかかる人数や期間を計るための経験が必要なのである。大役であるというプレッシャーもかかる。

今回は、主に滑走路周辺の掘削立会いが主任務だと聞く。戦時中あった3本の滑走路が現在は1本であるが、更に大きくなった現在の滑走路のコンクリート下にも多くのご遺骨が埋没されているらしいという情報がある。

二三年前から滑走路周辺は数え切れない程の回数の調査がなされ、いまだに一柱のご遺骨も発見されていないという事だが、滑走路はかなり広くすべての調査が終わっていないということであろう。

今回も出発前には復習し、当時の地理的な名称や戦闘概況、そして軍装品や地質などの勉強もして、健康を害することなく万全の状態で参加したいものである。

出発は一月下旬。帰還は二月初旬。一般人の渡島は認められていない地ゆえ、全ては我々の務めにかかっている。

それまで、じっくりと漏れのない準備を整えたい。

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