『たこ焼』購入考

幼少時、大阪市内の路地裏にはどの地域もたこ焼屋があった。3個から5個10円の時代、数年後みるみる高騰し数年後には100円で5個くらいになった。もう収入のない我々子供たちが簡単に買える食い物ではなくなった。それと共に、たこ焼は大人の食い物になり、繁華街や百貨店の地階でも売られるようになった。そして遂に、店舗を構えたたこ焼屋ができ、たこ焼だけの店もできた。路地裏や屋台の婆さんのたこ焼屋はなくなり、代わって玉子焼(明石焼の本場の名称)専門の店はできたが、たこ焼の祖先であるちょぼ焼は完全に庶民街からは姿を消した。
 
客寄せの一貫か、中国地方本社の某宗教団体系のディスカウントスーパーの店頭に大玉6個100円のたこ焼が出現。ここ数年関西地方中心に出店が続き、業績も伸張の極みか、一昨日久々に信州から関西まで一般道を走った際、岐阜県某市の国道際の店舗に入った。聞くとまだオープン10日くらいで、たこ焼販売コーナーは閑古鳥。空腹の由、自分用に3パック購入した。
 
文化の違いはここから。関西では同じチェーン店なので基本的にレシピは同じで、食っても確かに同じ味。強いて言えば終了間際に行くと粉が濃く、蛸がアホほど入っていること位で、他には爪楊枝がテープで止めてあるか容器に突き刺してあるか、はたまた輪ゴムに挟んであるか位の差で、関西でも大阪、神戸、奈良、滋賀で購入する同店のたこ焼は基本的にどこも同じだ。もっとも焼く人の個性や待っている人の数で少し食感が違うという程度か・・。
 
しかし、ここからが本題。
生粋の関西人としてウスターソースの好きな筆者はいつものように「ソース多めに、ほんで、鰹節は少のうてええから青海苔は多めに・・。」と頼んだ。いつも、きしめんにのせる鰹節のように、6個しかないたこ焼に、大きな手いっぱいの一握りほどの荒削り節が覆っているので、そんなに要らないよ!というつもりで言った。ところが、焼いていた無愛想な20才前後のすました美少女は「できません。既に焼けたものがあるので。」と言いながら何もする気はない。他には誰も客もおらず、全然忙しくもなく、また鉄板も次の分が焼けているのに、である。
まあええわ、と思い。3パック購入、車に戻り食った。ソースが少ないのはいい。仕方ない。彼女はする気がないのだから。しかし冷えている。そして極めつけは空洞のないたこ焼。すなわちたこ焼と同じ材料で同じ形の天ぷらか竹輪の一歩手前の状態。
これたこ焼?と感じたが、少ないソースを伸ばしつつ美味くないたこ焼をまず1パック、そして2パック目、3パック目のには塗られたソースは色だけで、それも疎らだ。減塩の個人的な配慮かもしれないが、熱くない、そしてぐちゃぐちゃ混ぜこねたたこ焼がどんなにまずいか、油の味で吐きそうか。恐らくこの少女も、奥にいた二人の年配女性も自宅で焼いたことはないだろうから解らないのは仕方はないが、それでもやはり、同じチェーンのストアーなら他の店舗とせめて少しは同じ部分があってもいいと思う。
極めつけはゴミ箱のないこと。すべては画一化され、6個入りしかないたこ焼のパック。忙しくなってくると店舗前で食った人たちの容器はどこに捨てろというのだろう。それとも、自宅に持ち帰り、冷めたたこ焼を食えというのだろうか。
日本独特のファーストフードたこ焼。本来は買ってすぐ食べるものである。空き容器をすてるゴミ箱は当然必要だ。オープン10日間、誰一人としてその場で食わなかったのだろうか、もしくは全員がごみを持ち帰ったのであろうか。近隣のコンビニのゴミ箱には誰も捨てなかったのだろうか。
文化の違いとは恐ろしいものだ。客が如何においしいと言って買ってくれるかを最優先にする関西。売り手の勝手をごみの回収箱の設置や笑顔でかわす関西に比し、売ってやっているという態度が普通の地域。狭い日本ではあるが、全国を仕事行脚していると色々な局面に出くわす。そして色々考えさせられる。
(タイトルの写真は記事とは無関係です。)
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コメント

  1. 岡田行雄 より:

    冷めたたこ焼きは、やはりアウトですね。ちなみに、私はマヨネーズと七味もかけてます。