『戦没者慰霊活動』慰霊祭・追悼式・拝礼式・遺骨収容・戦跡探訪

戦没者慰霊活動と一言で言っても多種多様の活動がある。それぞれに想いや手段、方法があり、また規模の大小やその目的も様々である。

先の大戦、即ち大東亜戦争における史実の一部を深く研究し、その対象を絞った活動もあれば、全世界の人類史上全ての戦没者に限った宗教を超越した活動をされている団体や個人もおられる。

日本においては江戸末期から明治維新の混沌とした時代の、そう、官軍や賊軍といった派閥に分かれた戦においてなくなられた方を祀る神社や寺もあり、現在その代表格として、靖国神社や各地の護国神社なる宗教法人なども有名である。

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慰霊活動は、そのような英霊の安らかなる冥福を祈ることばかりではなく、標題のように、まだ遅々として進まない遺骨収容作業や、それぞれの戦没者が最期の時を迎えたであろうその地において、その魂の想いを鑑みることや当時の現状を調査し、保存する、あるいは記録に留めるという活動も含まれていると考えている。

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最近良く耳にするのが、「寄せ書きの日章旗」返還の話である。町内や職場や同窓会など、出征する兵士の為に皆で寄せ書きをした武運長久を祈念した旗である。これらは戦地で皆、肌身離さず携えていたに違いない。もっとも、この返還活動は最近になって始まったばかりの活動ではないが、ご遺族や戦地での実戦体験者が高齢化し、散逸してしまうだろう遺品をその生のあるうちに戦没者の縁者に返してあげたいという気持ちの発露から、戦後70年以上経ったこの時期増えてきたものと思われる。平和な時代が続き、世界が豊かになった証であるかもしれない。遺品も何も残っていない遺族にとって、多くはかけがえのない物品に違いないであろう。

慰霊顕彰の活動については、一昔前までは遺族団体や戦友会等、強固な精神的絆で結ばれていた数多の団体があった。それらの団体も最近は会員の高齢化で解団を余儀なくされているところが多いと聞く。それに成り代わり、戦死研究家や有志の団体が立ち上げられ慰霊祭などの活動を執り行っているようだが、消滅する活動に全く追いついていないのが現状であろう。平和なこの時代、忘れかけられていることは間違いないと感じる。

遺骨収容活動。厚生労働省が事業として行っているほかにも、沖縄、グァムサイパン、ガダルカナル等々、未だほぼ手付かずになってきた戦地での活動を、手弁当、自費渡航、長期間の休業休職というリスクを全て自己責任において運営している団体や個人賛同者もいる。それらの活動の一元化も僅かに進み始めているようではあるが、世界の現状を鑑みると急がれることは間違いない。未だに先の大戦においてですら、百万の単位の英霊の日本国内への帰還さえ実現していないのが現状である。加えて、国交の関係で全く進められていない、白紙の状態である中国大陸や朝鮮半島での一般人を含めた遺骨収容には政府の本腰を期待したい。

戦史研究家や軍装研究家においても、これらの現状に危機感を叫ぶ声は上っているようだが、まだまだボランティアの範疇を完全には脱却できず、時間と経済的余裕と全うな慰霊の意志の強固な者ではない限り、なかなか参画できないでいるのが現状だと感じている。

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いかなる時代であろうとも、愛する人や家族や地域や国、そして民族の誇りと存続を賭けた出来事に、滅私奉公、命をかけて散華していった英霊たち。さぞ無念であったろうか、誇らしかったであろうか・・・。そのいずれにしても、我々平和で豊かな時代に生まれ育った世代は、頭の片隅にでもいいからこの現状を理解し、一時でも英霊の御霊に想いを馳せるという事が大切であると考える。

自身は絶海の孤島である玉砕の島の遺骨収集事業に参加を続けている。そこで毎回感じることは、遺骨収容作業だけではいけない、大きな慰霊の念を伝えることが大切であるという事。それとなく周囲に喧宣し活動を続けている。平和な時代の礎になられた御霊の上に胡坐をかく続けることだけは避けたい一心である。

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