『古文銭・漢・前漢五銖』(古銭古代銭)

秦・始皇帝が定め発行した『半両』銭は私鋳銭が蔓延し、代わって大陸を統一した劉邦こと漢の高祖は諸々の施策の一つとして『五銖』銭を発行した。官製の『五銖』銭は製造技術もかなり高く、それ以降唐に至るまで面文(銭に書かれた文字)は踏襲されたり周辺の異民族国家にも模倣された。

漢代の『五銖』銭は大きく分類すると『前漢五銖』と『後漢五銖』に大別されるが、前漢後漢の間に興った短期間政権、王莽の「新」王朝では、王莽の異常なまでの新貨幣鋳造発行意欲にも拘らず「官製の『五銖』銭」の発行は無かった。漢の興りは紀元前206年という古い時代の事ゆえ、我が国や中国の学者やマニアが研究を深めているが、まだまだ確立された系統立ったといえる成果は得られていない。文献等、研究の拠所となる遺物が少ないのが最大の原因であろうがそれも致し方ない事であろう。

さて、マニア向けの記事や研究成果の発表は先達や古銭研究会等の発表に任せるとして、ここでは『前漢五銖』の雰囲気だけ知って頂く為に一般的な五銖銭の紹介に限って紹介する。よって、希少な初期五銖である『郡国五銖』『赤側五銖』等には触れない事をご理解いただきたい。以下に掲載は前漢初期の『三官五銖』のうち宣帝時代を中心としたものである。

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『宣帝五銖』5枚

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『宣帝五銖』の厚みと径を五円玉と比較

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どの時代にも、決まりがあればそれの裏を掻こうとする輩や動きがある。以下は『剪輪五銖』や『楡梗五銖』と呼ばれ、正規銭の銅を盗む為に周囲を削り取ったり、さらには中心を刳り貫いた周囲と中心部で二枚の銭(周囲の方は『円環五銖』と呼ばれている。今回は写真は不掲載。)にしたりした物である。前漢末期の衰退期に多く出現したと考えられている。

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左上が『前漢剪輪五銖』(中央は『後漢剪輪五銖』と思われる。)

世界的に圧縮貨幣全盛の現代では鋳造貨幣はまず見かけないが、『前漢五銖』の時代の技術は相当高く、文字の無い部分の厚みは透けるのかと思うくらいの薄さで、現在の技術水準を上回るかもしれない当時の青銅器や貨幣鋳造能力の高さには脱帽である。

最後になったが、『後漢五銖』との大きなそして判り易い違いは、その厚みと雰囲気であるが、このような無責任極まる説明もお許しいただき、しかし強いて言えば「銖」字の旁の「朱」の上部第一画と第二画が角ばった点節になっている物が多いということくらいであろうか。(これも全てにあてはまる事ではない、そんなところが古文銭分類の醍醐味ではあるが・・。)後日『後漢五銖』を紹介したい。その折ご確認いただければご理解いただけると考える。

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