歴史資料■一等駆逐艦『雪風』備品の写真機■戦没者慰霊活動・軍艦・カメラ・沖縄戦 

戦没者慰霊の活動、特に遺骨収集活動に当たる身としては、なかなか出会えない物に出会った。

当時、世界最大級の戦艦だった大和が、昭和二十年四月六日、稼動できる日本海軍連合艦隊の残存船の大半を伴って沖縄海域に向け出航した。

その艦隊の一隻として参加した駆逐艦「雪風」の艦内備品の写真機である。

その蛇腹カメラの機種は「セミスポーツ」。今ではごくわずかではあるが蛇腹にピンホールがあり、シャッター機構の一部が稼動しなくなっているが、当時最新の機種であったようだ。

驚くことに、首から提げる革紐は切れて滅失しているが革製のカバーは健在。そしてその内側にはその素性を知ることのできる墨書きが丁寧に記されていた。

「一等駆逐艦 雪風」「第17駆逐隊」「昭和二十年四月六日」「記録備品甲八号」。まさしく雪風の所属する駆逐隊で、沖縄向け出航した日付。記録備品甲八号というのはおそらく官品管理の記号番号であろう。

翌日の四月七日は、米軍に発見された艦隊が猛攻を受け、大和以下大半の艦艇が沈没。残った艦艇には帰還命令が出た。生き残った雪風もそのひとつであった。

雪風は甲型駆逐艦38隻中、終戦まで生き残った唯一の駆逐艦で、「奇跡の駆逐艦」とも呼ばれ、戦時中から「呉の雪風、佐世保の時雨」と呼ばれた幸運の艦であった。その歴戦履歴はスラバヤ沖海戦、ミッドウェイ海戦、ソロモン海戦、ガダルカナル奪回作戦、レイテ沖海戦はじめ16の海戦に参加、幻の空母「信濃」の護衛や沖縄水上特攻作戦にいたるまで大東亜戦争のほぼ全期間を通じて活躍した。

終戦後は南方方面の復員業務、第六青函丸の遭難救助などに活躍した後、戦時賠償艦として中華民国海軍に引き渡されその旗艦ともなった。

昭和41年に解体されるまでその活躍はめまぐるしく、就航後数多くの海戦に参戦したにもかかわらず戦死者は9名しか出さなかった艦としても有名である。

そのような駆逐艦に備えられていた写真機。入手の際は、その素性もカバーに記された日付も特段気にしなかった。まさか、沖縄水上特攻の日に新たに配備された備品であったとは露も考えなかった。

その後、どこでどのようにしてこの備品が船から下ろされたのか。知る由もないが、ただの骨董品としてではなく、歴史の生き証人としての文化財であると考え、後生大切にしていきたい。

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