「散髪屋」。何となつかしい響きか。月に一度、母から「散髪屋、行ってきいや!」と行われる度嬉しかった。住んでいる地域ではない、学校の校区でもない幼少時からの行きつけの理髪店に向かうのは、必ず天気のいい日曜日だった。雨でも降っていると次の週に延ばすのは暗黙の了解だった。そこには理髪店の「おじさん」と「お兄さん」以外、一切の日常のしがらみのある人物のいない世界であった。
歩けば約20分。中学2年でそれまで貯めた年玉をはたいて自転車を購入するまでは、いつも徒歩で通った。家を出るとき坊ちゃん刈りの理髪料金以外に30円小遣いとして母にもらった。いつも行く駄菓子屋もたこ焼き屋も横目で見て通り過ぎ、一目散に歩く。一目散なのに走らなかった理由は想い出せない。お習字の塾、そろばん塾、幼稚園時代の良く遊んだ友人の家、全て通り越し「散髪屋」の玄関に順調に着く。小学校半ばになってからはすぐ下の弟と一緒に行った。
市道に面したガラス張りの引き戸を開けて、おじさんに来た旨を伝えるとそのまま少し先のパン屋に直行。その店舗の前には針金で出来たワゴンがありその上には食パンの耳を揚げた「ラスク」が何袋も置いてあった。一袋10円。食パンの両側の端が10枚程度詰まっている。10枚もあれば二三日は甘い物に事欠かない。飛び切りうまい「お菓子」であった。それを2袋買い、散髪屋に戻り中に入る。
空いている時も混み合っている時もあったが大抵は空いていた。おじさんと二人のお兄さん、おそらく兄弟であろうか、彼らに挨拶をし、理髪椅子の後ろの床に上る。待機スペースは今のように椅子ではなく、畳一畳ほどの床に大人なら床に足をついて二三人が座れる座敷であった。その奥には当時全盛だった少年マガジンや少年キング、そして貸本でしか手に取れないような漫画本が並んでいた。弟と共に自分勝手な好きな本に手を伸ばし読み漁る。家ではこの手の本は買ってもらえなかったので連載漫画どころか広告まで全て読んだ。もちろん前回来てからのバックナンバーや新刊まで・・。頭の中は別世界になった。しかし客が途切れ、散髪の順番が回ってくる事が出来るだけ遅いようにといつも願っていた。
順番が回ってきても、ある時お兄さんが「僕、読みながらでいいよ。」と声を掛けてくれてからは、当然のように本を持って理髪台に上った。ジョキジョキ、ジョキジョキ、ジョッキン、シュパッ、シュパッ!チョッキン!。本の上にも刈った髪の毛が落ちてくる。お構い無しだ。表の通りのあかるい日差しと理髪店特有の蒸気の匂いと優しい素朴なお兄さん達。そして後方の待合所に置いたラスクの袋。母に内緒で残した10円、読み切れないほどの漫画の本。無尽蔵にありそうな時間。全てが満たされていた。
そこで色々なものを見た。柱にかけてあった皮のベルトに紙の帯。剃刀を研ぐ姿と方法。表も裏も繰り返し繰り返し研いでいる。待合所に飼われていた金魚。四角い大きなマッチ箱。ボンボン鳴らない掛け時計。銭湯とは少し違う広告入りの鏡。そして不思議なバリカンという道具。すべて子供には関係のない大人の道具に見えた。おじさんやお兄さん達は鋏と櫛とバリカンとタオルだけで仕事をしていた。子供にはすごくカッコよく見えた。
その後我々が都市計画の立ち退きで転居した。丁度高校二年生の時だったのでその後のその店はどうなったか、一度だけ転居後も訪問したが電車バスを3回乗り継いで散髪に行くのはやめ、縁が切れてしまった。
それから40年以上経ってしまった。郷愁に誘われたわけでもないが、いや、本当はそうかもしれないが、あのおじさんの歳に追いついたかもしれないと思うと、一度近いうちに訪れてみようと思う。
他愛ない事を徒然に・・・。