『白玉・漢八刀・玉蝉』(前漢・唅蝉)

今回の紹介は、漢代の含玉、『唅蝉』である。日本語では「カンゼン」とでも読むのか、古代以来大陸で死者の口に含ませた「蝉」形の玉器である。

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古くから『玉』に対する、信仰にも近い概念のあった大陸では、無くなった貴人の魂はいずれ元の身体に戻ってくる筈で、その時まで清浄神聖な玉で身体を覆って守る、という事が信じられ、墳墓に納める際に数百枚からなる小玉板で作られた「玉衣」なる物が着せられた。とは言え、金銀などの糸で縫合された玉衣で全身を覆うのは、よほどの高位の者でないと実際には不可能である。そういった現実的な問題もあり、位の低い者や庶民はその意の呪い(まじない)として遺体の腐敗防止に効果があると信じられていた玉器を身に触れる場所に添え、埋葬するようになった。具体的には、死後金銭的に困らないようにと「富」の象徴である猪(豚)などを模った「玉豚」などを両手に握らせたりもした。それらは一対の『握玉』と呼ばれているし、身体の内部に邪気が入らぬよう『九塞孔玉』と呼ばれる、目、鼻、耳、口、肛門等の身体中の孔に栓をする要領で詰める為の玉器もある。同様に、口に含まされた玉が『玉蝉』または『唅蝉』と呼ばれているのである。輪廻信仰により、その霊が戻ってくるまで「玉」の威によりその身体は不変であり続けたいという願望からの習慣は、時代が下ってもかなり長い期間漢民族を中心に続いた風習である。「玉」とは中国人にとってはそういった神聖な物なのである。

では、何故「蝉」なのであろうか。それは、蝉は土の中で長い長い時を過ごし、地上に出てきてそして短時間で再びその子は土中に還る。我々、人の魂は天上に移り、そして長い時を経て必ず帰ってくるという信仰に基づくもので、たとえそれが現実的ではないと判明した時代が来ても長くその習慣は続いてきた。その間に『玉蝉』の大きさや形状も変化してきた。

今回取り上げた物は、漢代に良く流行った『漢八刀』という、長い期間作られ続けてきた代表的な形の物で、「8本の決まった削線(刀)」を中心に簡略化して表現された、漢代らしくデフォルメされたキリッとした造形の物である。

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長く土中にあったせいか、今では茶色く土沁(周囲の土の色が長時間の間に沁みる)し、表面は何箇所も鶏骨化しているが、それはそれで時の流れも感じさせてくれる味のあるものだ。

他のタイプの『玉蝉』についても順次紹介していく。今回はこの代表的な『漢八刀(削)玉蝉』をじっくり鑑賞して頂きたい。

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