10月中旬、和歌山県和歌山市中心部付近の、通称ぶらくり丁地域の一角で骨董市の試行に参加した。
過去、歌にも謳われた和歌山一の繁華街、というか、往時西日本では大阪の北、ミナミに次ぐ繁華を誇ったぶらくり丁周辺の再活性化の一助になればと、筆者の先輩骨董業者と地元の有志が企画したものだ。
帰阪し間もなくで、遺骨収集のボランティア疲れと言うか隔離された島での滞在ボケがまだ冷めやらぬ深夜、和歌山に向け走った。昔は一般国道なら3時間半くらいかかった道が、いつの間にやら走りやすいバイパスの連続で、二時間余りで和歌山市内に到達できたのには驚いた。
早朝6時集合という事であったが、地理や動線確認の為前夜に現地入りした。驚いたことに、ぶらくり丁とは言え、北ぶらくり、中ぶらくり、東ぶらくり・・・というように何本も商店街があり、そのどれもかなり広い道幅で、かつアーケードも高く立派な商店街が碁盤の目のように通っている。の、だが、どこも人通りがない。
稀に見るグループの一つ、道行く女性ばかりの飲みグループに訊いてみた。「う~ん、こっちの通りより、昼間はそっちの通り・・・、でもやっぱりどちらにしてもほとんど人通りは無いよ。」とのこと。商店街に入ってよく見ると、脈絡のない業種の商店同士が並んで、おそらくシャッターが長くあけられていない感じの商店もありそうだ。場外馬券場や介護施設や学習塾に混じって、衣料品店や喫茶店、それまた金プラ買い取り業者の事務所なども混在している。
翌朝期待せずに集合地点に到着。徳島や関西の市で見かける仲間も居た。一様に皆張り切ってはいるが、集合の後、商店街に車を乗り入れることができるのが短時間、その間に採寸し出店場所を決め、商店街の中央に各出店者が陣取った。
客足は10時頃からだった。というか、ほとんど人通りがない。この辺りは再開発予定地でいずれは無くなる運命の商店街らしい。そう考えるとこの昭和レトロ感溢れる地域文化が消滅することに寂しさを覚えるが、この状態では仕方ないであろう。逆に、大規模店舗の招致ができてもその企業としての将来の発展にも不安を感じる・・・。
そんなことを考えている間に、たまに通る通行人は、いきなり知った本日のイベントに驚き、そして喜び、商品をじっくり見ていく。そう、ここの人達はこのような行事に飢えているのだろう。口々に「もっと宣伝すればいいのに。判ってたら友人知人誘い合わせて来たのに・・。」と言う。
実際、日没まで人出は殆ど無かった。だがしかし、来た人は皆何か買っていく。というより、本当に珍しい品々が多いと喜んでいる。お初天神や護国神社でも見向きもされないような品々が少しづつではあるが売れていった。ニーズとしてはあるのであろう。ただ、人出が少ないだけなのであろう。
商店会の幹部や地域の重鎮にも会って、色々お話を聴いた。そして結論としては、暫くどんな形態かを模索し、次につなげることを考えることになった。この地域で活発な盆栽業者などとのコラボや商店会認定のフリーマーケットへの参画等々。育てながら発展させていく要素のありそうな地域であることには変わりない。
出店に声を掛けてくれた先輩業者などとも協力し、是非是非頑張ってみたい。その節は読者各位のご協力も請う。