『古文銭・漢・後漢五銖』(古銭古代銭)

前漢(西漢)の後、数々の貨幣を発行した王莽建国の「新」が短期間で滅亡したあと、後漢(東漢)が光武帝により興された。後漢建国は西暦25年、西暦220年まで続いた王朝であったが光武帝は経済安定の為、西暦41年に「五銖」銭の鋳造を再開した。

この「後漢五銖」は当然「前漢五銖」を倣った貨幣であり、表面に記載された面文や四角い孔の周囲の線の有無等、非常に似通ったものであったが、一般的に「前漢五銖」より厚みは薄く、書体も基本的には同じで共通したところが多かったがその銭面には特徴のある陰文(鋭利な物で記したような線や符号)や文様(線や点など)が読み取れる物、鋳造時の錯範(文字ずれや二重文字)等が多い。

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・「前漢五銖」との違いで最大の特徴は、面文の「五」に大きな特徴があり、前漢時代の「宣帝五銖」の「五」字に似た曲線が使われていること。更にそれはかなり扁平で大きく見えることが特徴である。

・次に「銖」字の旁、「朱」の、楷書で言う第一画、第二画の転節が曲線である事。

・鋳造貨幣ゆえ例外も多くあるが、上記のそれら二点の特徴でかなりの確率で「五銖」銭の大雑把な時代判定が出来る。

・更に細部の微妙な判断材料としては、背面の孔の周囲の線が僅かに反り返る傾向があり、書体等で判断が付かない場合にはそれも判断材料となる。

いずれにしても並べてみればその雰囲気の違いは歴然で、角ばったキリッとしたものを感じる「前漢五銖」に対し、女性的で柔らかい雰囲気の「後漢五銖」という感じを受ける。

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「五銖」銭は、官鋳私鋳を問わず、唐の時代に至るまで周辺王朝出の鋳造含め数百年という長い間各地で造り続けられた貨幣であり、冥銭といわれる一種の呪いに用いられたような物もあり非常に種類が多い。それでいて尚且つ記録媒体も、大陸でも木簡竹簡の時代という日本人にとっては非常に古い時代の物であるので、その分類に関してはまとまった文献や資料も稀有で、今後の学者やコレクター、研究家の成果に期待したい。

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