■古民具紹介『柿の皮むき機』■南信州市田柿・渋柿・立石柿・手回し皮むき機・農具・干柿

筆者の住む南信州下伊那地方では、農家が秋から初冬にかけて「干柿」を大量に作る週間がある。江戸時代からの事で、古くは「渋(しぶ)」と言われた立石柿や市田柿の干した物が、天竜川の支流から本流に出て、遠く遠州灘に運ばれていた。今ではこの地方では「農家のボーナス」という位、年越し前の収入になっているという。

時代が昭和に下り、飯田市立石集落の「立石柿」は、時代の甘み嗜好に影響され、ほぼ全てが市田柿にとって代わられた。市の広報では「立石柿」は数本しか残っていないという事だが、筆者は「立石柿」を数十本育てている農家を知っている。残念な事に、数年前から寄る高齢化に「干柿」にはされず、その山の高い所に有る畑は荒れ放題となってはいるが・・・。

さて、その「立石柿」や「市田柿」を干す作業に最初に使うのが、「皮むき機」である。ブランド継承の為、今では衛生管理がかなり厳しくなり、現在では吸盤式とベルト式の複合による、ほとんど柿に傷を付けない設備や埃の立たない干場を設けないと、JA柿部会が「市田柿」の商品名を使わせないという施策に変化したが、それまでは各農家、すべて手作業であった。

その手作業の皮むき工程に使われるのが今回紹介の「皮むき機」である。包丁により一つ一つ実の川を向くにはかなり時間がかかる。画像にある簡単な「機械(?)」を、作業場の板か何かに固定し、突き出た三本の針に柿を一つ突き刺し、ハンドルを回して鋭利な包丁を当てるだけで一瞬にして皮を剥くことができる。当然熟練者でないと上手くいかないが、それまでの熟練者は鎌型に小さく湾曲した包丁で手作業で一つ一つ剝いていたという事なので、幾分それに比べると確実に早く作業が進み、そして作業を手伝う子供などの家族にでも簡単に剥けるようになっていたはずである。

古民具やその土地にしか見られない農具等、南信州にはまだまだ存在している。というより、全国津々浦々の集落ごと、独自の発達を遂げたのが古民具であろう。

実は、小宅の蔵にもこれと同じ機械がある。アイターンで都会から来た筆者はそれを使った事がない。しかし、とある場所でその「箱入り」の状態の奇麗な物を見つけ、安価で頒けて頂いた。折角なので紹介させて頂いた。

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