小さな文化遺産②『六櫻社 手提暗箱(普及型)』コニカ、さくら、小西六写真工業、ボックスカメラ、中判カメラ、箱型カメラ、

南信州の骨董品店、と言っても、野菜や食材や季節の農業資材、それに農産物の苗など、地元住民の生活必需品などを販売している商店の骨董品部門で珍しい物を見つけた。

最初見た瞬間、「あれ?カメラかな?」という程度の認識であったが、やはり気になり、暫くしてから再度手に取って見てみた。何の変哲もない簡単な造りの、カメラと言うにはあまりにも軽くて小さい外観と、レトロさのかけらも感じられない直方体の一面に小さなレンズ孔のようなものが開いていて、少しばかりの操作器具のようなものが付いているだけの物で、初めて見た目には、「子供用のおもちゃか、若しくは入門初心者用のカメラかな?」という程度の感覚であった。

値段を訊いて、少し高いかな?と思ったが、それが後になって数倍以上の価格で売れてしまうとは知らずに、捨て金の気持ちで購入した。恐らく販売した店の方も良く解らず値付けをしていたようだ。

今は便利な時代で、ネット環境さえあればその場で情報を得られる。しかし、筆者は未だガラケーに固執し頑張っているので、数日後、自宅に帰ってパソコンで色々検索するまではそのカメラの正体は判らなかった。

数が少ないのか、適当な名称を入力し検索してもなかなか出てこない。そんなに希少な筈はないと頑張って調べてみた。そして、有った!!標題にあるように「手提暗箱(函)」である。それも小西六写真工業(後のコニカ)の初期の社名である「六櫻社」の時代の物の様である。かなり希少な物であるという情報だ。

若い頃から一眼、二眼とレフレックスカメラや中判カメラを幾種も使ってきた身として、この小さな箱でどうして中判フィルムが入るのか、また、シャッタースピードや絞りの調節も不可能な様子なのに、また、シャッターセットやボタンの位置も分からず、三脚固定用のネジもなく、それこそ「学研の付録(我々の時代には「科学」と「学習」といった、付録付の学習雑誌があった。)の針孔写真機並だな‥。」という風に感じたのは仕方ない事であったと思う。国産カメラの初期の時代には生きていなかったのであるから・・・。

で、機械物が中心のベテラン骨董商に訊いた。「珍しい物ではあるが、シャッター装置やその他の機能も今の時代にはそぐわず、なかなか欲しい人に出会えない。」との事。ネットオークションなどでかなり検索し、その終了価格よりかなり安めに、それでも購入時の価格の5倍~10倍の値段で売るつもりで骨董市などの露店で出品した。

そうすると、三回目の展示の頃であったろうか、男性二人組が来て「いくらか?」と言う。「本当は珍しい物なので、最低○○円位では売りたい。」と答えると、「もう少し負けてくれ!」という。頑として首を横に振り続けていたらその内諦めたのかどこかに行って、しかし二三時間すると戻ってきて遂に売れてしまった。手元に無くなると悲しいものだ。日が経つにつれて、「もう二度と手に入らないかも知れない‥。」と後悔の念ばかりが湧きたつ。いつもの事ではあるが・・・。やっぱり、使わなくても珍品マニアは居るものだ。また勉強になった。

さて、このカメラ、昭和初期の物で、絞りもシャッタースピードも固定、普及版には違いないのだが外面の箱から全てが職人による一台一台手作りで元々製造数は少ない。そして製造地である東京、また、主たる販売先であった東京が戦災で壊滅したため、現存数はかなり少ないと聞く。

手放す前、現物の写真を撮っていたので本ブログに挿入してみた。見た目はいかにも子供じみたカメラではあるが、れっきとした文化遺産である。

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